ヒロシマからの提言

 ――ソ連の核実験再開を契機に――

 

松江 澄

                新しい時代 19622月号(新しい時代社)

 

   はじめに

 

 ソ連の核実験は、広島の原水爆禁止運動に「爆発」的な影響を与えた。実験再開声明の八月下旬から十月二十三日の原水協の集会までの二ヵ月間、広島の平和運動家は多かれ少なかれこの問題の渦中にあり、なんらかのかたちでこれに関与した。

 すでにソ連実験を契機として、平和運動に関するいくつかの理論的問題について論文が発表されているが、私は広島の運動――それはある意味で日本の運動の矛盾の集中点でもあると思うのであるが――の中から若干の問題を提出したいと思う。

 

   

 

 ソ連の実験再開声明、ひきつづく実験いらい、広島のほとんどすべての職場と地域で、さまざまな角度から論議がかわされた。広島の市民である以上、この問題について冷淡な無関心さですごすことができないとしてもそれはむしろ当然であろう。その異常な関心は、一六年前の被爆経験と禁止運動、とりわけビキニ以来の実験反対運動が広島市民の心のなかにはっきりと定着していることを物語っていた。ところが、このような関心の深さにもかかわらず、論議にとどまって運動は発展しなかった。それはこの運動を主要に担当する広島の原水爆禁止運動とその組織が、行動の入口で足ぶみをしなければならなかったからである。

 最初の集会から二カ月後の集会にいたるまで、二つの直線的なコースが終始一貫対立し、しばしば激突して分裂の危機さえあらわれた。一つは共産党の実験支持論であり、他の一つは社会党、被爆者、婦人をふくむ実験反対論であった。このあいだにあっても原水協は、実験に対してその中止を要求しつつ、軍備全廃核戦争阻止、日本の非核武装を強く打出すことによって組織の統一を確保することかできた。この二つの集会は、この中間にひらかれた市長主催の抗議集会にくらべても集まりが少なく、ほとんど二つの潮流の意識的な活動家動員の範囲を出ることができなかった。しかし、その発想の極端と持込にの性急さによってその対立は先鋭化されたとはいうものの、多くの職場や地域の平和勢力のなかにあったある種の空気を反映したものであったことも事実であった。

 

 それは決して集会にあらわれた対立的なものでではなくて反対に関連し合ったものであり、また、実験に賛成か反対かと言う単純な発想でもなかった。それほ、どこの国であろうと核実験には反対するという自明の前提のもとになお提出された問題であった。

 一つには、実験にはもちろん反対だが、ただそれだけでは問題の解決にはならないという、

ばく然とではあるが一段と有効的な方法を要求しながら、だからといって「ソ連についてゆく」ような運動への不信感とも結びついている声であった。また他の一つは、ソ連が平和のために闘ってきたことを事実で認めつつ、声明は支持、実験には反対であるが、その公然とした声明に一抹のちゅうちょを感ずる動きであった。しかもこの二つは決してほっきりと分れているものでなく、さまざまな角度で関連し合っていた。

 こうした状態は、広島の運動ときりはなすことのできない被縛者の状況とも無関係ではない。別表に見られるように、その要求は単に実験反対にとどまらず、進んで積極的な平和要求が強いにもかかわらず、われわれの運動への参加はその反対に弱いことを示している。とくに単なる慰霊にとどまる市主催の式典参加率と、運動としての世界大会への参加との相違は注目しなければならない。

 こうした事情は、広島ないし日本の禁止運動について次のようなニ、三の重要な問題を、平和運動家、とくに共産主義者に提起していると思う。

 

 

第一表  被爆者における原水爆禁止の意識

      禁止すべし 止むを得ず認める 必要 判らない 計 

原水爆使用 916% 28%  05%  48% 100%(431)人

貯蔵・製造 856  49   16   79  100 (431

実 験   847  42   07   104  100 (431

 

  第二表  日本の核武装に対する被爆者の意識

       賛成  仕方がない 反対  判らない 計

 

アメリカの 23% 57% 712% 208% 100403)人

核兵器持込

自衛隊  6.5   9.4   58.8 2 5.3   100403)    

核武装

 

  第三表  日米安保条約に対する被爆者の態度(改定前)

 

        改定賛成  現状維持   破棄   判らない   計

 

被 曝 者    46%   119%   40.0%   43.5%  100

全 国 民    11.0    220    200    46.0  100

 

 

    第四表 憲法改定にたいする被爆者の態度

 賛成   反対  その他   判らない   計

 

14.9%   258‰   72%   51.6%   100%(403)人

第五表 被爆者は原水爆禁止の実現可能性をどう考えているか

禁止可能  禁止不可能  その他  判らない   計

30.9%   26.2%   8.8%  34.1%    100%(431)人

第六表  原水爆禁止運動動への参加

集めた   応じた   しない   不明     計

署 名  30%   527%   404%  39%   100%(431)人

第七表  世界大会と記念式典への参加

参加        不参加

世界大会  79%      921%  100%(431)人

市主催式典 29.7       70.3    100 (431)人

 

 

 

 一つには、日本の原水爆禁止運動の性格についての問題である。広島は今までに二回にわたってヨーロッパに原水爆禁止運動のオルグを派遣した。その帰国報告のなかでわれわれの注目をひいたのは広島の被爆経験に対する異常な関心と同情にもかかわらず、ちょうどわれわれが、「アウシエビッツ」に対してもっているような、ある種の観念約な要素があるということである。これは東南アジアへ派遣されたオルグがもたらした、「原爆」と「植民地主義」の相互にある、ある種の感覚的相違と性質をおなじくするものであった。共通な一要素をもちながらも、無視することのできないこうした相違は、原水爆禁止運動を他の種類の平和運動から独自に際立たせるものをもたせるとともに、二つの側面をもたらしている。

 家のなかで銃を撃ち合い、殺し合った経験ではなくて、外で闘った侵略戦争の経験と、それを上回る原爆という強烈で鋭い経験は、戦争と平和の経験的な認識に、ヨーロッパと異なった一定の限定を与えている。戦争と平和をめぐるつばぜり合いのなかから余儀なくされたソ連の核実験に、こうした経験的認識からだけでは直接的、感性的な緊張感が生まれにくいこともある意味では当然ではないだろうか。広島がその経験によりかかるだけであるならばそれは、直接的には、「戦争か、平和か」ではなくて、「原水爆か、その禁止か」であり、世界で唯一の特殊な被爆体験かもたらした、「被爆弾と核爆発」への異常な関心である。しかしこの経験は同時に積極約な普遍性をもっている。なぜならば、現代の基本問題である「戦争か平和か」の問題は、兵器の飛躍的な発達によって、「核兵器かその廃止か」という問題と別なものではないからである。

 第二次大戦後の平和運動が、一方では第二次大戦中の深刻な経験を基礎に広い民主的な性格をもち、他方では巨大な兵器の発達がその経験をもたない多くの、いや、ほとんどの人類をこの運動に参加させることができる条件をつくりだしている以上、広島の経験と運動は特珠日本的な性格をもちつつ、同時に、まさにその理由で世界的な普遍性をもつのではあるまいか。もしそうだとするならは、われわれは世界で唯一の被爆という特珠の経験的な認識の基礎に立ち、その認識に沿って追求しつつ、その経験的認識の壁をやぶって普遍的な「戦争と平和」課題にせまる必要があるのではないか。そうして、これを否定していきなり直線的な発想で「戦争と平和」にかんする階級的立場からソ連の実験支持を打出したところにこそ、共産党の孤立化が生まれ、また他方、経験的な認識に足ぶみをするところにこそ、「悲願」の域を脱しきれない「禁止運動」への失望感がぬぐいきれぬのではあるまいか。

 

   三

 

 二つには、原水爆禁止運動が、共産主義者ないし平和委員会の活動家に対して抱いている不信感である。

 共産主義者はソ連のやることならなんでも無条件に賛成するものだという一定の観念は、禁止運動のなかに容易に抜きがたい底辺をもっていることをこのたびの問題は示していた。「ソ連の手先」という、あいもかわらぬブルジョアジーや反共産主義者のデマゴギーには、平和の行動で反撃を加えることがなによりの「くすり」になるだろう。しかし、もし善意の、したがってわれわれと協力できるはずの友人たちのあいだにこれに似た不信感があるとするならば、われわれは孤立を恐れぬ英雄主義で自己満足しているわけにはゆかない。われわれがこの不信感をとりのぞこうと努力するのは、共産主義者の「名誉」のためではなくて、なによりも事実の問題であるからである。そうして、こうした不信感をとりのぞくために努力することは無駄でないばかりでなく、われわれと政治的見解や戦争の責任者についての意見は異にするが、平和を守る行動では完全に一致することのできる多くの友人たちと協力するうえで、非常に重要な――少なくとも広島ではとりわけ重要な――仕事である。

 すでにのべたように日本の原水爆禁止運動はその特殊な基礎をもっており、そのかぎりでは、いわゆる共産主義者と平和活動家の協力によって展開された「世界平和擁護連動」とは独立した、いわは無党派――もちろんすべての平和運動が政党運動ではないが――の人々によってはじめられた運動である。広島におけるビキニ以来の「禁止運動」発見の事情はそれを示している。われわれは、この運動が共産主義者のイニシアティヴで組織された戦後初期の広島における平和と原水爆禁止の運動と無関係でないばかりか、それを土台としていることを誇りとしているし、それを清算主義的にみる見解に終始反対してきた。

にもかかわらず、知識人、婦人、被爆者のイニシアティヴで始まった百万署名以来の運動が、その後の共産主義者の全面的な参加――そうしてしばしばその中心的な役割の一つの担当――があったにせよ、なお、われわれの運動から「独立」した運動としてその独自に広範な地位を獲得してきたことを認めぬわけにはゆかない。

 そこで二つのことをはっきりさせておく必要がある。一つは、日本の平和運動のなかで独自に創造約な発展をとげた「禁止運動」が、いくつかの弱点と欠陥をもっていたとしても、平和を守る行動のうえで、巨大な積極約貢献をしてきたし、またしているということを正しく認識することである。したがってまた、われわれの平和擁護運動にとってそれがすべてではないが、最大の友人であるということである。他の一つは、にもかかわらず、「禁止運動」が平和を守る活動のうえで、共産主義者に対して多少とも抱いている不信感である。これは一種の矛盾であり、とくに平和を守る巨大な運動が多様な形態と組織で発展する途上で生んだ矛盾である。社会民主主義者から無党派、宗教者にいたるまでの間、この運動での共産主義者のイニシアティヴに対して多かれ少なかれもっている不信ないしは不安がつくり出しているこの矛盾を認識することである。これを矛盾としてとらえることができず、またこの矛盾のなかで主要な側面が世界平和運動への積極約な貫献であることをみることができなかったところに共産党の狐立化があった。

 もちろんこの不信ないし不安には一定の誤解があることは事実であるし、むしろ誤解がすべてであるともいうことができる。われわれは「ソ連だからなんでもついてゆく」のではない。事実においてソ連が平和の最大の守り手であるからこそ、ソ連を支持するのだといつでも言明することができる。しかし、これを単なる「他人」の誤解とだけ批難することができるだろうか。共産主義者はその誤解について責任はないといえるだろうか。

 

   四

 

 この問題のなかには二つの点がふくまれている。一つは、共産主義者が性急にその階級的立場を持ちこむことから産まれるものであるが、これについては今までも多くの論者によって指摘されているからここではふれないことにしたい。 私がとくにいいたいことは他の一つの点である。

 ソ連の核実験再開についての共産党の態度を批判したある原水協の幹部が私につぎのように語ったことがある。「共産党の立場はよく分るが、それにしても戦術が下手だ」と。

また「革新運動」のなかでもいくたびかの論争のなかで、「原則的立場」と「運動上の立場」を使い分けようという意見があらわれた。というよりも、従来から「独自の原則的立場」と「平和の共同行動をすすめる立場からの戦術的妥協」の使い分けが自明のものとして疑われなかった。性急な階級約立場の直線的な持ちこみは、譲歩の末、「ほんとうはソ連の実験を支持するのだが、原水協の統一のため一歩ゆずって、『遺憾の意』にとどめるのなら認めてもよい」と。

 しかし、こうした「戦術的考慮」は誤解をとき、不信と不安をとりのぞくうえで役に立つだろうか。そうではなくて、実は原則論と運動論という二元論こそ、「共産党が平和運動に熱心なのほ革命運動に利用するためだ」といういわれのない非難と不信を生みだしているのではなかろうか。私は、共産主義者のこうした二元論が、われわれと平和を求める多くの友人との心からの温かい接触を、冷たい儀礼上のつきあいにかえているのだと思う。

 平和は共産主義者にとって決してたんなる戦術ではない、それは社会主義がそうであるように、目約そのものであるばかりでなく、真の平和=恒久平和と社会主義とは同義説である。ましてこんにちの異常な兵器の発達がもたらすかも知れない原水爆戦争から人類を守ることは、その「第一義的な任務」であり、「戦争をなくし、氷遠の平和を打ちたてることは共産主義者の歴史的使命である」。

 ソ連は平和を守るために余儀ない実験を「胸をしめつけられる思いで」おこなった。

われわれ日本の共産主義者もまた、平和を守るため、今までもどこの国の核実験にも反対してきたし、またこんにちでも反対している。

さらにまた平和を守るためにこそドイツの平和的な統一と全面軍縮、日本の非核武装を要求して闘うのである。ここにあるのは解きがたい対立的な矛盾でも、戦術的な相違でもなくて、平和のための人民の巨大な統一であり、 われわれは広島の市民抗議集会を右翼が利用しようとしたように、平和運動を戦争の車を廻すための偽者的な「戦術」としている策謀や、ためにする反共主義者を絶えずばくろし、断固粉砕しなければならない。そうしてまた、日本におけるすベての善意な平和を求める国民との接触と協力をさまたげているどんな障害をもとりのぞき、こうした友人と温い友好閑孫をつくりあげることは、平和運動の巨大な統一のために果さねばならない共産主義者の決定的に重要な任務である。

 

   五

 

 われわれにとって日本における平和運動の統一と発展のためにどんな仕事がとりわけ必要なのであろうか。統一をさまたげているどんな小さな石ころをもとりのぞくことは、すでにのべたようにきわめて重要であるが、それにとどまっているだけでは前進はない。統一的前進のために必要なこと、それは多様な運動の特殊性と独自性を認めつつ、具体的で共通な中心政策をさぐりだし、追求し、提起することでイニシアティヴを発揮することであ。

 日本の平和運動のなかには、「世界平和擁護運動」の立場に立っている平和委員会以外に、原水爆禁止運動、仏教もしくはキリスト教の宗教者平和運動、基地反対運動等があり、さらにまた一連の主権回復の運動や友好親善運動も平和運動の側面をもっている。その意味では平和を守る点では一致しながらも多様な形態と組織をもっている。いままでの重要な欠陥の一つは、こうした多様な運動のなかで、共産主義者あるいは平和委員会の活動家が、その運動と政策で巨大な統一をつくりあげるかわりに、それぞれの組織内フラクションとして、性急に組織を通じて自己の立場に近づけようとしたところにあったのではないか、この努力はすでにのべたような二元論と結びついて、フラクション活動によっていかに運動諭を原則論に近づけ、二元論を一元化するかが最大の目標となる。核実験についての原水協、日ソ協会内部でおきた問題はそのもっとも特徴的な、典型ではないか。組織論の欠如――それは別の機会にゆずるが―は、運動と政策のすべてを組織の強引な「つり上げ」に解消し、活動を会議フラクショソニ解消している。この結果、単に共産主義者の孤立化というだけではなく、大衆組織をセクト化し、孤立化させ、ある場合には分裂あるいは破壊にさえ導くのである。

 平和運動を構成している多様な運動の特珠な独自性は否定されてはならない。核実験問題について、「日中」や「日ソ」以上に「原水協」が熱心であったとしても当り前であり、また」平和のための日ソ平和条約や日中国交回復について、「原水協」がそれぞれの友好親善組織ほどの熱意を示さないとしてもそれは不思議ではない。こうした特珠性の尊重とともにとりわけ重要なのは、この多様な運動が組織でではなく、運動で統一できるような中心的な政策を明らかにすることである。

そうして日本的な特殊性を考慮しつつ世界平和に貢献する統一政策こそ、日本の中立化と不可分に結びついている。かつて「原水爆の禁止」はこうした中心的な統一政策であった。しかし平和運動をとりまく周囲の事情が変化する以上、いつまでもそこにだけとどまるわけにはゆかない。新しい条件のもとでの統一政策、それはかならずしも明らかにされているとはいえないし、またおそらくその中味になるにちがいない中立化との関連も多くの国民に明らかに示されているとも思えない。これを正確に提起することは共産主義者の平和運動のなかで果さなければならない努力のなかで最大のものではないだろうか。

 平和と中立化政策の中心的な柱はつぎのようなものではあるまいか。

 第一の柱

 既成の軍事同盟からの離脱――それはまず日米安保条約の軍事条項の廃案――と、切断された友好関係の回復――日ソ平和条約の締結と日中国交回復。

 第二の柱

 中立化、非同盟を定着させるための、大平洋非核武装地帯保障条約の沿岸諸国による締結。 第三の柱

 以上の対外政策と対応する日本の非核武装、自衛隊の廃止と、軍事費の国民生活向上のためのふりむけ。

 

 

 この三つの柱は、国際的には全面軍縮と、国内的には現行憲法によって保障され、また保障する。この意味で、全面軍縮、中立化、護憲運動は、核兵器の禁止を基礎軸として固く統一されている。

 これら一連の要求は決して切り離すべきものではない。なぜならばこれらの要求は、中立化を総体として構成しているからである。したがってこれはまた段階的にとらえるべきものでもない。既成の軍事同盟からの離脱は、他方の対立を解消することによって促進されるだろうし、対立の解消と友好関係の創出は、一方の軍事同盟を口実のないものにするだろう。これを日本の現状誤認と結びつけて分離または段階約にとらえるところから、かの有名な、「革命なければ独立なし、独立なければ中立なし」というテーゼが生まれた。

 また非同盟状態を定着化させるための非核武装地帯の設置要求は、逆に双方の片寄った傾斜を回復することを必要とするし、内外の非核武装計画と呼応していることはいうまでもない。きらに重要なことは、戦時中の経験とこんにちの生活要求に依拠しつつ、軍事費の平和的生産と労働へのふりむけを具体的にかつ大々的に宣伝普及することによって国民生活のなかに平和と中立の要求を定着させることであろう。この点では平和と中立化の政策と、中立化の経済構造との関係をもっとわかりやすく、具体的に明示する必要がある。

それはおそらく、平和と原水爆禁止の「悲願」を実現可能性のある現実的なものとしてうらづけ、平和の統一行動をいっそう力づよく発展させるにちがいないだろうし、当然そのなかで具体的な地位を与えられる被爆者援護の政策は、世界で特殊に重要な位置を占めている被爆者運動を一段と平和と原水爆禁止運動の力づよい源泉にするだろう。

        (一九六一・一一・二九)
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